全国を回り問い続けた「人の幸せ」
「人々にとっての幸せとは、いったい何なのだろう?」━━。
大学在学中に1年間休学をし、10ヶ月かけて日本を一周。その間、ずっとこの問いを考え続けていました。旅の途中でたくさんの方々と出会い、人の優しさに触れる中で、当たり前に食事ができること、寝たり休んだりできる場所があることの大切さに改めて気付かされました。
当時は就職活動の真っ只中。人の役に立ち、幸せに貢献できる仕事が何なのかを考えていた時期です。全国を回る中で、たくさんの人との関わりを通じ、「どんなコミュニティに所属しているか」「どのようなコミュニケーションをとっているか」といった人間関係が、幸せにつながる大事な要因だと気付きました。
「人との関わりが豊かになれば幸せにつながるんじゃないか」。
仮説を得た私は、どうにかこれを仕事にできないかと模索し、「コミュニティデザイン」という考え方に出会います。地域のコミュニティを豊かにし、そこで暮らす人々の生活を豊かにしていける仕事。それがまさに「まちづくり」の仕事でした。
豊かな地域資源、
可能性あふれる加西市
当初は地元島根県の出雲市で仕事ができればいいなあと思い、各所を当たって探してみましたが、どうにも見つかりません。地元以外でまちづくりの仕事ができる場所はないかと探してみたところ、出会ったのが加西市でした。
きっかけは、NPO法人が主催していた、地域で活躍するローカルプレイヤーが働き方や生き方を語るトークイベント。そこで興味を惹かれて参加したのが加西市です。
市内の地域資源を活用し、何ができるかを考えるワークショップはとても面白く、アイデアを考えれば考えるほど、「実際に現地に行ってみたい!」との思いが強くなりました。
その後機会を得た私は、ワークショップの一環で生まれて初めて加西の地を訪れます。地域のあたたかい方々との交流、そして豊かな自然が広がる加西市の魅力に触れた感動は、今でも忘れられません。「加西市には若いプレイヤーが必要だ。どんどん受け入れていきたいと思っている」と嬉しい言葉をいただき、「ここなら自分のやりたいことができるかもしれない」とわくわくしました。
すでに意思が固まりつつあった私は、その場でイベント担当者に「加西市に住みたいです!」と直談判。先方は最初とても驚いた様子でしたが、快くご対応いただき、「地域おこし協力隊」という制度を教えてくださいました。
「この仕事なら、地域の人々の暮らしを豊かにし、幸せに貢献できる仕事ができる!」。そう確信を得たことで、加西市への移住を決め、地域おこし協力隊としてコミュニティデザインの仕事をすることになりました。
課題は地域の次の担い手。
若者にこだわり続ける理由
地域おこし協力隊として最初に任されたテーマはとても広く、空き家問題や里山問題、耕作放棄地など、数多くのテーマの中から何に取り組むのかを選ぶことに。地域の方々に話を聞いてみると、「地域の伝統文化が引き継がれず衰退の一途を辿っている」といった声が聞かれました。
地域の次の担い手である若者がどんどん流出してしまい、同時に家や仕事なども減り続けている。この問題を何とかできないだろうかと考えた私は、空き家や耕作放棄地と若者とのマッチングを仕掛け始めます。
しかし、地域が抱える空き家や耕作放棄地に、若者が魅力を感じるかといえばそうではありません。まずは若者のニーズに寄り添いながら、うまく地域側のニーズに結びつけられないかと、交流会やイベントなどの活動を始めることにしました。
最初に直面したのは、若者の母数の少なさと都市との情報格差です。大学時代に活動していた大阪では、イベントを開けばある程度の人数が集まりました。しかし、加西市で同じような規模で若者を集めるのは至難の技です。
また、若者の「やりたい」を形にするのにも相当の労力がかかりました。20年以上地元から出たことがなく、外の世界を知らない彼らには、自分のやりたいことを実現するための手段や情報が、同年代の都市の若者と比べて圧倒的に足りていません。話を聞いて「こうやればできるのに」と思っても、「どうせこんな田舎ではできない」と、本人自身が可能性を感じられていませんでした。
一緒にやる。可能性を信じ抜く
そこで私は、ローカルプロデューサーとして「とにかく一緒にやり切る」「その人以上にその人を信じる」といったスタンスで若者と関わることに。スモールステップで小さな成功体験を一緒に積み重ねることで、彼らに「やればできる」という実感を持ってもらえるよう働きかけました。同時に、何かを始めたいと思っている若者たちが寄り添い、励まし合えるコミュニティづくりにも力を入れました。
粘り強く寄り添い、可能性を信じて伴走を続ける。そうすることで、これまで多くの若者が自分のやりたいことを形にしてきました。同時に、彼らの姿を見た同年代の若者たちの中には、「もしかしたら自分もできるかもしれない」と勇気付けられる人たちも出てきて、徐々にコミュニティの熱量が高くなってきました。
現在、地域でお店を出したり、イベントを仕掛けたりしている若者の中には、こうしたコミュニティで機会や仲間を得た人たちが多くいます。やりたいことを形にした彼らの姿は、次の世代にとって良きロールモデルとなり、若者の挑戦の機運を盛り上げてくれています。
プレイヤーが活躍しやすい環境を
私自身、ローカルプレイヤーとして0から地盤を築いて活動してきた中で、さまざまな困難に直面しました。次の世代には同じ思いをして欲しくない、もっと挑戦しやすい環境を整えたい。そう思っていたところ、市政に関わる機会を得て、市議会位議員選挙に立候補することに。
これまで地域でさまざまなローカルプレイヤーに伴走し、若者のやりたいを形にするサポートをしてきましたが、持続性の観点で言えば課題が多く残っていました。プロジェクトの多くは収益性が乏しく、プレイヤーは本業の仕事の片手間で関わるといった形がほとんど。これでは負担が大きく、長く続けることができません。
市政に関わり、プレイヤーが活動しやすいように起業支援の体制を整えたり、助成金や補助金予算を捻出できるよう働きかけたりすることで、何とか彼らの自立を促せないだろうか。加西市のことを本当に良くしたいと考えれば、たとえ自分が側にいなくとも、彼ら自身でやりたいことを形にできるのが一番望ましいのではないか。
たくさんの方々に背中を押され、あたたかい応援をいただけたことで、2019年に加西市の市議会議員に初当選。年齢層の高い市議会において、20代の市議会議員は自分ただ一人です。若い世代の声を市政に届け、自分たちのやりたいを形にし、暮らしやすい地域をつくっていけるよう活動を続けてきました。
また、地域外への視察も積極的に実施。他市の成功事例やローカルプレイヤーとの対話を重ね、加西市に活かせるエッセンスを探り続けています。ローカルな視点を持ちつつ、より幅広い視野で加西市を考えられるよう、今後も続けていきたいと考えています。
欲しい未来は、自分たちでつくっていける
市議会議員を4年務め、節目を迎えた今。議会の中で一部の先輩議員から「下江くん、これからもよろしく頼むな」と声をかけられました。私はこれを、「地域の次の担い手である若者に加西市の未来を任せる」というメッセージだと思って受け取っています。
高齢化が進む地域、そして年齢層の高い議会において、結婚・子育てに至るまでの20代の暮らしは扱われにくいテーマです。先輩方が生きていた時代と比べ、今の仕事・働き方、私生活は大きく変わってきています。若者の声を聞き、それを市政に届けていかないと、いつまで経っても現状は変わりません。
政治に興味関心が薄い今の若年層の声を拾い上げるのは、簡単なことではありません。しかし、私は最年少議員として、若者の声を市政に届けることに使命感を持っています。実際に、そのための仕組みとして公式LINEで「カサイアンテナ」を開設。現在加西市に住む若者に多く登録いただき、市への要望や期待がどんどん集まってきています。
「加西のここが良いよね」と言える若者が増え、暮らしの納得感や地域への誇りが育ってきている今。加西市が彼らにとって健やかに暮らすことができる地域であれるよう、これまでも、そしてこれからも、寄り添って伴走し続けていきます。
※これまで伴走させていただいた方からのコメントは、以下よりご覧いただけます。